画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます。 |

|
【賀陽宮両殿下御帰朝遊ばさる】
―半歳の欧米御巡遊を
芽出度く終らせらる―
9月16-17日
賀陽宮同妃両殿下には今春三月帝都御出発欧米御巡遊の途に上らせられ、親しく各国元首を御訪問、畏しこくも国際親善につとめさせられ、また軍事、教育、産業等各般の御視察を終へさせられて十八日正午初秋の横浜港に郵船秩父丸にて御機嫌うるはしく御帰朝遊ばされた。殿下には陸軍少佐御軍服凛々しく、妃殿下御同列にてブリツヂに立たせられ、二百日ぶりの故国の風景に接して御なつかしげに拝せられた。かくて午後一時御召船が四号岸壁に横付けとなるや、奉迎の市内青少年団中小学校生徒、在郷軍人団等の日の丸を打ちふり、怒涛のやうな歓呼のうちに、御出迎の御母君大妃殿下及び各若宮さまを始め奉り、皇族御代表の各宮殿下には直ちに御乗船遊ばされ同船ライブラリーに於てお喜びの両殿下と御対面、御帰朝の御挨拶を交はされシヤンパンの杯を高くあげさせられて御祝福遊ばされた後、同二時四十分臨港駅発の特別列車に召されて御帰京遊ばされた。 (写真は秩父丸デツキに立たせられる両殿下と奉迎の小学生の万歳)
|
|
 |
【国宝も出陳される神奈川県文化展】
―石器時代よりの本県文化史を
一望の下に―
9月18日
県史蹟調査会、横浜郷土史研究会、武相考古会の合同の『神奈川県文化展覧会』は廿日より新装の野沢屋に於て同店増築完成記念として開催されるが、石器時代より現代に至る文化発達の由来をパノラマ、ヂオラマ等で展開し、併せて鎌倉時代の国宝を初め諸家秘蔵の史料数百点を出品して本県の文化史を一堂に収めたものである。 (写真はペルリ上陸)
|
|
|
【女性でも鉄砲の射方位は】 ―知つて置かなければと―
9月19日
横浜市戸部実践高等女学校の生徒百五十名は安室教諭に引率され、二十日午前七時半横浜駅発、同九時麻布三連隊着、兵営見学の後、実弾射撃を行ひ一人前の兵隊さんの積りで熱心に訓練して非常時女性の気焔をあげた。同日午後五時同連隊前にて解散帰浜した。 (写真は同隊にて実弾射撃中の女学生)
|
|

|
【惨たり!『台風禍』】
―海に陸に猛威をふるひ
本県の死傷十八名―
9月20-21日
廿一日午前九時大垣島の南西に出現した時速七〇粁の台風は、近畿地方に於て最も暴威をふるひ六億の財と千余の人命を奪つて東北東に進行し、中心が長野、前橋方面通過した頃、本県も其の勢力内に捲込まれて風速廿五米突以上に達し、片浦小学校、横浜ドツク大煙突等の倒潰を始めとして損壊家屋百五十余に及び、煙突、道路、電柱の倒壊数知れず、各所に交通杜絶もされ殊に農村の被害二百二十万円と報告されてゐる。 (写真は四十余坪の屋根瓦を吹飛ばされた子安の日大第四中学校校舎と関内の被害)
《解説》 この台風は昭和の3大台風として知られる「室戸台風」。横浜にも大きい被害をもたらした。
|
|
|
【移り行くお月見風景】
―芒や萩は色変らねど
彼女はなんとボツブ・ヘヤー―
9月22日
『月はデパートの屋根に出る』世の中になり、いにしへの玉兎も今はモダンな名で呼ばれ、兎公も餅をつかなくなつと(ママ)やら。風流気の多いお月様にペンキやコンクリートの家を照させたりするのもお気の毒だが、これも御時勢の力がしからしむトコロ、十五夜さまが教会堂の尖塔から上り鉄橋やアスフアルトの道を照してゐるのも又趣きの無いでもなく、モダンでシツクな彼氏彼女のアパートの窓で見る月に、例へお団子は供へなくともチヨコレートの香り位ひはする筈である。 (写真はモダンお月見山手にて)
《解説》 「ボツブ・ヘヤー」とは戦前に流行したモダンな女性の短い髪型。「ダッチ・ボッブ」とも。
|
|
|
【快適な秋空の下へ!】
―台風一過して
二日続きのお休みに郊外賑ふ―
9月23日
茸狩り、栗拾ひは未だ早いがハイキングやビクニツク(ママ)に近郊の秋は賑ふ。殊にお彼岸の中日と日曜との二日続きのお休みに、天高く馬肥ゆる爽快な気満つる秋空の下を土に親しむハイキング、咲乱れる秋の色草を分けてお手製のお弁当をつまむのも又楽し楽し、更に釣によし、芋堀もよく秋はいよいよ招く。 (写真は名残りの葡萄狩り)
《解説》 ハイキングは市民のレクリエーションのひとつだったが、数年後には戦時下の国民の心身を鍛練する一手段としても奨励されることになる。
|
|
 |
【往く船をみつめて・・・・・・】 ―秋のみなとの幻想―
9月24日
禍爛(ママ)たる五色のテープを震はせて港の空に高く一声出船の合図、暫しの旅に行くものも永遠に外国に帰へりゆく人も共に胸をうたれる銅鑼の音、往く人送る人、船と陸とにうち振る手と手、みんなの眼と眼がうるんで船が赤燈台の外に霞んでゆく時、テープも握らずハンケチも振らずひそかに桟橋の柱の蔭に立つ女が有つたとしたら?また遇ふ日までの契りを胸に秘めてソツト見送る彼女だつたら?彼女の涙の乾く日の、帰へります日の早が(ママ)らんことを誰か祈るであらう。
…遠くまた一声汽笛がひヾく…
|
|
 |
【関西地方風水害にハマ市民起つ】 ―震災当時の返礼にと同情集る―
9月25日
稀有の惨禍を極めた近畿地方大暴風の災害に対して、二十三日夜急送した県市当局の白米五百俵を始めとして各方面に義捐金募集の声は上り、二十四日より伊勢佐木町には連合少年団の街頭募集も行はれたか、之れと前後してサラク(ママ)・サロンではハマの漫画家を総動員して同店の店頭及店内に於てイセブラ人の似顔漫画を描かせてその収入全部を市役所に寄託することに決したが、先づ第一日の分弐拾七円四拾銭は姫美サロン企画部長が女給代表者に持参させ、二十五日午後一時松前市社会課長に手交して罹災地への伝送方を依頼した。 (写真は松前社会課長と会見のサロン代表)
《解説》 室戸台風は主に近畿地方で猛威をふるい死者2700人余を出した。サクラ・サロンは伊勢佐木町を代表するカフェー。
|
|
 |
【百万弗の浮気者、ヤンキー娘の見本】
―十五才で結婚したが飛出して
日本船へ逃避―
9月26日
北米ビツツ・バーグのガルフ石油会社の経営者マルヴイル氏の愛嬢コレツト(十七)は、来年になれば百万弗の財産が分配して貰へるので青年達の憧れの的であつたが、ある夜の会合で知つた男とその翌日イミ無く結婚したが、同棲する気にもなれず無断で家出し、飛行機で桑港へ更にラーリン号でハワイへ渡りそこで捕へた父の探偵をまいて瀧田丸の二等室へもぐり込んで、実母のゐるマニラへのスピード逃避行、マニラには一ヶ月遊びその帰りにはキツト好きな日本を充分見物したいと云つてゐる。 (写真はコレツト・クリーン夫人)
|
|
 |
【可憐の児童の手から市長さんへ】 ―本社主催音楽会の純益金を寄附―
9月27日
去る十五日公園音楽堂にて隣保事業後援の為め開催した本社主催「音楽舞踊映画の会」は、折柄の霖雨模様にも拘らず相当の成績を占て、その後本社に於て収支決算の結果三百余円の純益を得たので、二十七日朝出演の横浜意心舞踊研究会の児童代表が「日刊内外」社長島巌氏並に本社奥山社主に伴はれて市役所を訪問、大西市長に手交したが、此の真心の贈物に市長さんも久しぶりに朗らかであつた。 (写真は市長室にて)
|
|
|
【日満英の通商増進を目指して】
―英国満洲視察団来朝す―
9月28日
満洲国承認の促進を計り日英満協会の資源開発の成否並英国の対一貿易の可能性を検分す可き重大使命を帯びて二十七日夜瀧田丸で来朝せる英国産業視察団々長バーン、ヒー卿以下四名は、十月初旬入満し同国の経済状態を視察するが、此の報告はイギリスの極東政策の転向に反映し、又満洲の外資による経済開発に一転機をもたらすもので国際的に注目されてゐる。 (写真は瀧田丸船上の一行)
|
|
|
【喝采!半島芸術の粋】
―盛況なりし朝鮮同胞の音楽と舞踊の会―
9月29日
在浜朝鮮同胞の有志に依つて組織されてゐる愛隣園では、杉田方面の海苔採取婦人の為め海岸に託児所の建設を計画、この資金募集に三十日夜開港記念会館に於て朝鮮音楽と舞踊の夕を催したが、古き歴史と他に類なき特異性を有する未知の芸術に、観衆を幽明の境地に導いて陶然させ、殊に石井漠門下の俊才崔承喜嬢の朝鮮古曲による新しき創作舞踊の妙技は満場の絶讃を博した。 (写真は踊る崔承喜嬢)
《解説》 崔承喜は戦前の日本で人気を得ていた舞踏家。朝鮮・中国でも活躍し、多くの広告にも登場した。石井は創作舞踊の草分け的存在。
|
|
 |
|
 |
|
 |