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【大波も何の糞平気で煙草一服】
―横浜港外の水上スキーの試験大成功―
7月1日
水上スキーを発明した騎兵一連隊一等銃工長神保博氏は卅日朝同隊竹内大尉以下三名と共に来浜し、水上署並に港務部の応援を得て海上に於ける大汽船のあふり波に対する凌波性の試験を行つたが、折柄十時出帆の大平洋の巨船プレシデント・クリツヂ号(二万噸)の大波の上を自在に滑走して、見学の人々や外国船員乗客を驚かして、神保氏は大スクリウの白波渦巻く中で平然として先づ一服した。 (写真は海上の神保氏の実演)
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【吟詠以つて非常を克服す】
―安達謙蔵氏主唱で
八聖殿の和漢詩吟詠大会―
7月2日
混濁たる思想界はいやが上にも柔弱に流れて滔々として停止する所を知らず、今にして是れが防止策を施す非ずんば此非常時国難を如何にして克服す可きや、と云ふのが安達さんの主張で、一日午後一時から八聖殿で士的気風養成の第一着手として和漢詩の朗詠吟詩大会を催し、詩吟界の大家渡邉緑村氏、八才の天才井原麗子嬢等の朗々たる吟声は深緑の聖域に響き林陸相、荒木大将等多数の来賓に多大の感動を与へた。 (写真は溢れたる聴集(ママ))
《解説》 八聖殿は現横浜市八聖殿郷土資料館。政治家安達謙蔵が昭和5年(1933)に建立した。
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【自動車大疑獄の公判開かる】 ―元金ピカ連中が法廷に立つ―
7月2日
昨春県民の耳目を衝動させた本県未曾有の大疑獄たる保安課幹部に絡まる収賄事件の第一回公判は、二日午前十時橋本裁判長係の下に当時の主任竹上検事立会ひ開廷されたが、贈賄者に田川元代議士・田中県議・古屋平塚市議等、県下政界の立物収賄者の座間元横須賀署長・石原元保安課長・吉田元大岡署長・菅佐原元外事主任等何れも当時現職の四十一名の被告に横山元横浜裁判所長外四十五名が弁護に立つといふのでさしもの大法廷も立錐の余地もなかつた。 (写真は被告連)
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【復興博覧会の呼物】 ―大阪動物園から応援に来る類人猿―
7月3日
先般村山市助役が大阪市訪問の際に復興博の添物にゼヒと頼んだ大阪動物園の類人猿は、いよいよ横浜に出演と決るらしいので岡田事務長以下大喜びであるが、此の猿公甚だ頭がよろしく諸芸十八番に達し、竹馬・子供自動車・自転車等自由に乗廻すし、洋服は自分で着換へ洋食の作法一と通り心得があるといふ猿仲間のモボ。名前は来浜の上自分で皆さんに御紹介に及ぶと。 (写真は彼氏顔を洗つて先づ朝食といふ所)
《解説》 復興博は翌昭和10年(1935)に予定されていた復興記念横浜大博覧会のこと。博覧会ではチンパンジーの玉乗りなどもおこなわれた。
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【港の汽艇総出動して】 ―水上安全週間に各種の演習―
7月3日
横浜港沖仲士組合・横浜水上警察署合同主催水上安全週間は、第一日は貿易港都の犠牲者死亡沖仲士の慰霊祭を執行したが、第二日は水上署を始め税関各部の汽艇十五隻出動して放水、急救(ママ)等各種の演習を行つたが、此の実況を活動写真に撮影し六日開港記念会館で封切一般観覧の上各地にて映写、全国的に水上安全を宣伝する筈である。 (写真は放水演習の実況)
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【『星条旗よ永遠なれ』の国歌も高らかに】 ―フオース・ジユライに催しの数々―
7月4日
金港名物の米国独立祭は四日午前十時からY.C.A.C.コートに於て子供運動会を始め、午後の京浜両アメリカ協会対抗の野球及テニス、ゴルフ等流石はスポーツの国。殊に野球は国技丈けあつて人気も素晴しく、又午後六時からはグルウ大使以下著名米人を招待してボイス領事の晩餐会あり。終つてホテルニユーグランドに祝賀舞踊会を開催、全一日を星条旗の下に祖国の将来を祝福して五日夜明けまで踊り続けた。 (写真は子供運動会のポテト・レース)
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【全国税関の精鋭を一堂に】 ―盛大な税関の道場開き―
7月6日
第二回全国税関武道大会は横浜税関新庁舎武道場開きを兼て、六日午前十時来賓中島大蔵省主税局長を始め各方面の大家参列、九段山下範士以下の審判の下に開始接戦を重ぬる幾十合、遂に柔道十一点で神戸税関、剣道十点で長崎税関各々優勝旗を獲得して凱歌を挙げ奮戦の横浜惜しくも敗れた。 (写真は会場高段者の剣道型と金子税関長の妙技)
《解説》 横浜税関はスポーツが盛んで野球部・漕艇部が各大会に出場、好成績を残したという。大正以降、学生のみならず職業を持つ人たちにもスポーツが広まっていった。
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【銀星燦やく天の川の下で珍らしい敬老会】 ―浦島小学校七夕祭に―
7月7日
日本女性の代表的な優美なお祭りの一つ『七夕』に浦島太郎の伝説由緒の深い浦島小学校では、講堂大天井に新秋の夜に仰ぐ爽かな銀河を型どつた大布を張り渡し、牽牛織女両星の輝きを見せて町内の七十才以上の老人を招待し、女生徒の心からなる御馳走をした上、五色の短冊を結んだ大笹竹を飾つたステージから余興やお話しをして終日喜こばせたので附近では感謝してゐる。 (写真は老人達に肩を揉んだり団扇で仰いであげてゐる同校女生徒たち)
《解説》 浦島小学校は神奈川区浦島丘に所在。
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【卅六年の危機を前に岡田内閣成る】 ―組閣の難関を突破して八日親任式―
7月8日
意外の人岡田大将に大命降下してより茲に五日。幾多の難関に遭遇したが遂に床次派・民政党入閣を得て八日午前十一時親任式を終了し、卅六年を前の日本国防と内政改造の重責を背つた非常時挙国内閣は成立した。 (写真は親任式を終りて前列右より廣田外務.松田文部.後藤内務.岡田総理.床次逓信.町田商工.大角海軍.後列右より小原司法.藤井大蔵 内田鉄道.山崎農林.林陸軍の各大臣)
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【照宮さま金沢文庫を御見学】
7月9日
葉山御用邸に御保養中の照宮成子内親王殿下には九日午後三時自動車にて藤井御養育係長・野口事務官を随へられ横浜市外金沢文庫へお成り。関文庫長の御説明にて鎌倉文化を物語る国宝の古文献・彫刻類を御覧遊ばされた後、八景を一望する九覧亭にお立寄り景勝に興ぜられ午後四時御帰還遊ばされた。 (写真は金沢文庫にて謹写)
《解説》 照宮は昭和天皇の第一皇女。のち東久邇宮家に嫁した。
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【へちま提灯吊した納涼電車】 ―サービス・ガールを乗せて全市を運転―
7月10日
市電の納涼電車は十日より全線を運転することになつたが、電車は無蓋によしづ張りの天井に切花や植木を配し、窓にはすだれを下げて車内ではサービス・ガールの売る果物やサイダーを飲食させ乍ら涼風を衝いて走るので蒸し暑い夜など相当人気があるであらう。 (写真は納涼電車)
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【「市長と文人」涼風に語らふ夏の一夕】
7月11日
横浜復興博の余興としての歌と劇とに一肌ぬぐ事になつた大西市長の学校友達である文壇の巨匠菊地(ママ)寛氏は詩人西條八十氏と共に市長の招きで十日夕来浜し、磯子園で会見晩餐の後海に面した庭先に出て涼風に吹かれ乍ら少年時代の想出など静かに語り合つた。 (写真は右から大西市長西條八十氏菊地(ママ)寛氏)
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【黒煙天に沖して物凄き船火事】 ―ベンゾールを満載した艀全焼―
7月12日
十一日午前十一時横浜港外碇泊中の中村汽船第二雲洋丸(二七九三噸)よりベンゾール積取作業中の中区住吉町五日吉回漕店所有日吉丸(七〇噸)より突如発火したので、県の救命艇神奈川丸を始め水上署港務部等汽艇出動して消火に努め、同午後三時半同船を沈没鎮火せしめたが、附近には重油船第一・第二小倉丸等あり一時は危険であつたが、日吉丸乗組員一名負傷、損害はベンゾール千五百罐船体共で約八千円であると。 (写真は黒煙に包まれた日吉丸)
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【霖雨煙る異人墓にお盆供養】
―維新志士の刀刃に
倒れた外人と開港三恩人を慰む―
7月13日
横浜史料調査会々長武井市秘書課長 山崎紫紅・加山道之助・栗原清一の諸氏他廿名の会員は十三日の盂蘭盆を期して明治四年我国最初の鉄道を完成したE.モーレル氏、画家C.ワグマン氏等の文化貢献者、並に文久三年生麦村に於て薩州藩士の一刀に刹された英商人C.リチヤードスンを始め井土ケ谷で遭難した仏海軍士官A.カリウス、本町三丁目で倒された露国士官水兵等の維新の犠牲者を山手墓地に、又加害者側西戸部願成寺に浪人清水清次及び間宮一、鳶の小亀の霊など巡次展墓し美しき花輪を捧げて黙祷した。 (写真は山手墓地で)
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【手拍子揃へてお国自慢の盆踊り】 ―富士紡の女工さんがそろひの浴衣で―
7月14日
夏の景物として人気のある保土ケ谷富士紡女工さん達の盆踊りも近づいたので、毎夜同工場構内広場に拵へた櫓をめぐつて浴衣がけの男工女工さんが入り乱れて猛練習してゐるが、いづれもお国名物を発揮して手振り身振りも賑やかに嬉れし相に音頭をとつてゐる。 (写真はその練習)
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