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【護国の英霊永に生きん】
―沖・横山両氏の三十年祭―
3月16日

日露戦争大勝一頁を飾る憂国の志士沖貞介・横山省三両氏がハルビンの露と消えて早や三十年。去る十日陸軍記念日に当り畏も両氏の遺族は天皇陛下に拝謁仰せ付けられたが十六日午後一時神奈川県庁に両家族打連れて知事を訪問した。
 (写真は中央沖氏母堂・横山融三氏・横山知事)
【松岡氏の政党解消演説】
3月17日

国際連盟の猛者を相手に帝国の真意を宣揚し、自主的外交の本領を発揮して帰朝以来、感ずる所あつて政友会所属の代議士を辞し専ら政党運動に没頭して居る松岡氏は、十七日午後六時から横浜開港記念会館で神奈川県に於ける第一声を挙げた。傍聴者は満堂立錐の余地なく近来浜の人気を一身に蒐めた形であつた。(壇上は松岡氏)

《解説》 日本はリットン報告書が採択されたため、国際連盟を前年(昭和8年)3月に脱退した。全権松岡洋右は帰国後政友会を離脱、この時期全国を遊説していた。
【春は微笑む】
3月19日

朗らかなステツプを踏んで春の訪れだ。緑の芝生に燃ゆる陽炎、青春を讃之(ママ)、溌溂として躍る彼女達に春は明るく、微笑みかける。 (写真は山下公園にて)

《解説》 山下公園は関東大震災の瓦礫の上に昭和5年(1930)開園した。画面中央には蓄音器が見える。
【訓育院で『紀念植樹』の魁け】
3月20日

皇太子殿下御誕生を永久に紀念し奉るための紀念植樹は県下各方面に企てられてゐるが、横浜訓盲院ではこのトツプを切り、高さ三間のヒマラヤ松を今日午後一時から校庭南側に可憐な児童達の手によつて厳粛裡に植樹終つて皇居遙拝万歳を三唱した。

《解説》 横浜訓盲院(現横浜訓盲学院)は中区竹之丸の高台にあるキリスト教主義による全寮制の盲学校。
【晴れの卒業式】
3月22日

蛍雪の途にいそしむ幾歳。待ちに待たれたけふぞ晴れの卒業式だ。懐しき追憶を偲んで母校に訣れ、希望と光明にもゆる未来への輝かしい夢を描きつゝ街頭へと巣立つ雛鳥の群。彼女達のゆくてに栄へあれ! (写真は校門を出づる女学生)

《解説》 写真はフェリス和英女学校(現フェリス女学院)の校門。『横浜貿易新報』(昭和9年2月22日付)は「制服への憧れ」と題してフェリスの入試合格者発表について報じており、大正14年(1925)に制定されたセーラー服も人気の一因だったのかもしれない。
【献上の名馬けふ宮内省へ】
3月22日

皇太子御降誕奉祝のため帝国競馬協会より献上に決した名馬「朝葉号」は愈々今日献納することになつたので、持主横浜市元浜町石川組社長石川義明氏は根岸厩舎に愛馬を訪れ名残を惜んだ。 (写真は献上馬朝葉号と石川氏)

《解説》 背後には昭和4年(1929)に再建された根岸競馬場一等馬見所が見える。この年さらに増築され二等馬見所とともに16,500人の観客を収容した。
【舞姫達の市長さん訪問】
函館市大火の義捐金送達依頼
3月24日

メトロポクタン(ママ).ダンスホールのダンサー達十一名は、廿四日午前十一時市役所に大西市長を訪問して函館市の大火義捐金五十円をお手渡して送達方を依頼した。函館市の今回の大火は市の約八割を烏有に帰して往年関東大震災当時に自分等の困窮を思ひ合せ一会同情の念に堪へませんと述べた時には流石市長の瞼にも光滴の宿るのを見た。 (写真は市長室にて背面は市長.左武井秘書課長.マスター久保田正雄氏.と彼女達)

《解説》 昭和9年3月21日、函館市は死者2000人余りの被害を出す大火に見舞われた。「メトロポクタン」は「メトロポリタン」。横浜では老舗のダンスホール。
【春の序曲は野球から】
その前奏は中等校大会
3月24日

バツトの快音に開ける明朗と壮快のメロデー。野球のシーズンは遂に来た。ハマの甲子園県下中等学校野球大会は廿八日より公園球場に於て行はれるが、廿四日午後一時より県学務部に各校部長.主将参集して協議会を開き種々打合せの上抽籤にて試合組合せを決定した。
【同胞愛を叫ぶ少年達】
3月25日

函館の大火災は往年の関東大震災にも比す可く北海道の同胞を救へ! の叫び漲る中に、廿五日から横浜少年団連盟が奮起し雄々しくも長旗を押立てゝ市内数ヶ所で街頭義捐金募集を始めました。 彼等少年達の義奮を見よ!
【非常時女青の感激】
3月26日

神奈川県女子青年連合会総会は廿六日午前十時から平塚市第一小学校に於て開催。模範団員及功労者の表彰を行ひ陽春武相の天地に若々しき感激に輝く非常時の彼女達。
【珍獣の渡来】
3月27日

マレー連邦の「狩の国」ジヨホールの王樣サルタン・イプラヒム殿下御訪日のお土産として東京市へ寄贈されることヽなつた珍獣三頭は廿七日午後郵船伏見丸で横浜へ上陸、初の御見得をした。
 (写真は「右」マレー産の熱帯熊。「左」インド産の熱帯狼。)
【熱球空を飛ぶ】
3月28日


県下球界行事の華・第三回中等学校野球争覇戦は、昨年の覇者商工実習以下必勝を期する精鋭十九校参加の下に、春シーズンのトツプを切つてフアン待望裡に今廿八日より向ふ一週間公園球場に於て挙行さるゝことゝなつた。
 (写真は晴れの入場式)

【ウエルカム!観光第一船】
3月30日


”さくら”咲くニツポンの春にあこがれて、遥々弗の国からの観光団数百名を乗せた豪華船ラーリン号(一九〇〇〇噸)は三十日朝港内桟橋に白亜の巨体を横たへた。此の豪華船の一人当りの船賃驚く勿れ、一万四千二百弗。邦貨でザツト、四万七千円とはナントたいしたものでせう。 (写真は其の巨体)
【間門海岸の汐干狩】
3月31日


水温む小春日和汐干狩のシーズン。
一家揃つて 海へ 海へ………
うらヽかな春日を背に受けて楽しく団楽に心なき海も微笑んで居る。 (けふの間門の海岸にて)
【日満剣道試合】
3月31日


卅一日午後一時より横浜小学校演武場に於てオール満洲国軍は高野茂義範士に引率され堂々入場。本県側は横須賀海軍警察官有志.在郷軍人有志の編成で田中五段以下廿八名の出場。横山知事.内務.警察両部長其の他名士列席のもとに白熱戦が展開された結果十四対十四の引分で午後四時閉戦。

《解説》 昭和7年(1932)3月、満洲国の独立が宣言され溥儀が執政に就任。昭和9年3月1日には帝政が実施され、溥儀は皇帝となった。