画像をクリックすると拡大画像がご覧になれます。 |
 |
【秋豊かに】 ―彼女は健に葡萄は穂る―
8月17日
天高く馬肥ゆる秋。朝夕の涼風は漸く懐に入る。碧空のすがすがしさ肥ゆるもの何ぞ馬のみならん。彼女の健康美を見よ!甘き果汁の豊かさを見よ!
|
|
 |
【指先に走る算珠の音】 ―算盤競技会の盛景―
8月18日
十八日午前八時から記念会館で開かれた各区税務係員の算盤競技会が開かれた(ママ)。綺用に走る指先きの巧妙さ到底外国人の想像だになし得ぬ神技である。
|
|
 |
【極東日本の情勢視察】 ―南米から来朝した諸名士の観光客―
8月19日
十七日正午横浜入港の大阪商船ぶえのすあいれす丸で、ブラジルの知名の実業家・有力者及びアルゼツチンの操觚界の有力者等廿余名来朝した。彼等は日本初め満洲等極東の情勢視察の為めで、同国移民問題のある今日頗る注目されて居る。
|
|
 |
【世に出る仏蘭西名画】 ―関税の未納額補充の為めの売立て―
8月20日
昭和三年仏蘭西美術展覧会の際、日仏芸術社の手で輸入された近代写実主義の巨匠クールベーの『泉』(価四千五百円)、その他工芸品の関税未納額を支払ふ為めに廿二日から横浜税関の肝入で同館四階で展覧会を開き即売する事になつたが、陳列画九十九点で何れも世界的名画ばかりで愛好家は垂涎して居る。
|
|
|
【突如.大岡川から大旋風捲起る】 ―大正十三年以来の珍しいもの―
8月21日
二十一日午前十一時五十分頃中区南太田町第一隣保館附近から突然大旋風捲き起り、数回に亘つて大岡川を往復して河水を沖天に引揚げたが、附近に乾燥中の玩具飛行機材料一万枚を吹上げ壮観を呈したが、幸ひ人畜に損害は無かつた。 (写真は旋風の跡)
|
|
 |
【要塞地帯の保護防衛に国民よ協力せよ】 ―国際危局に際し藤井憲兵隊長語る―
8月22日
本県は三浦半島の大部分を包含する東京湾要塞地帯を有し、県民は国家的立場より常に官憲と協力之れが保護防衛に当らなけば(ママ)ならぬが、殊に昨年夏は聖路加病院トイスラー博士自家用ヨツトの三浦半島一周帆走や、同氏嬢とその夫○国大使館員の長井町海軍砲台区域侵入事件等外国公官吏の違反者続出に鑑み、本月横浜憲兵隊長として赴任して来た藤井慎二大佐「国民として要塞地帯の防衛は即ち軍事機密の保護であるから国民一般が挙つて当らなくてはならぬ。本県民は特に此の点の理解と認識を持つてゐるのであるから、今後一層諸君も力を合せて孤立日本の国威の為めに働いて頂きたい」と語つた。 (写真は藤井大佐)
《解説》 三浦半島一帯や金沢区は横須賀海軍基地があるため「要塞地帯」に含まれていた。昭和15年(1940)以降、この範囲が拡大され横浜市全域も「要塞地帯」となり写真撮影等が規制されていく。
|
|


|
【空襲下の港都に防護団奮起す】 ―三万の団員出動して予行演習―
8月23-24日
「某国との国交急迫して横浜附近に空襲の虞れあり」との相定(ママ)の下に、廿四日午後一時大西連防団長は各防護団に対して出動命令を発した。更に電話・伝令は八方に飛び分団・地区長は直ちに班員の招集を行ふうち、午後三時に至るや陸軍機三・海軍飛行艇二・其他三機は突如として横浜上空に出現し市内を縦横に旋回、猛烈なる低空爆撃を敢行すれば地上より高射砲機関銃で応戦する一方防毒防火班は大活動を開始、救護避難の訓練を行ひ同四時半は(ママ)敵機は横浜上空より退去して演習を終つたが、それより大西団長は市内廿三ケ所の各分団の綜合演習を視察した。 (写真は山吹橋の防火並に架橋演習と日本大通の防毒救護班の活動)
|
|
|
【ちよん髷斬つて六十五年目】 ―玉泉寺に「毛髪塚」を建立―
8月25日
断髪令発布六十五周年記念「毛髪祭」は横浜理髪業者の営業政策研究会主催で八月一日より廿四日まで行ひ、其の間の一万五千袋の毛髪を玉泉寺に納めて廿五日午前十時より毛髪塚建立式を挙行、松山会長を始め東京長野小田原等の支部より代表の参列もあり盛大であつたが、終つて正午より記念会館食堂に於て午餐会に移り尚ほ今後の同会の進展について協議した。 (写真は毛髪塚建立式)
|
|
 |
【秋の拳闘界を賑やかして
黒人ボクサー来る】 ―筥崎丸で六名来朝―
8月26日
廿七日午後二時入港した箱崎丸で日本拳闘倶楽部招聘の黒人拳闘選手団一行が来朝したが、監督セイロン島人アルウヰスを始め全部が黒人である。バンタム級のジヨーヂはルマビ(ママ)の人気男であるが、九月三日日比谷の試合には日本バンタムの猛者松岡と十回戦を行ふことになつてゐる。 (写真はその一行)
|
|
|
【日本女性に非常時の目覚め】
―メトロポリタンのダンサーが
空の認識を求めて―
8月27日
市内弁天通メトロポリタンダンスホールでは卒先(ママ)して九月一日二日の防空演習に対する従業員の訓練を行つてゐるが、ダンサー嬢も空襲の脅威と防空の必要を痛感し空の認識を深めるべく二十八日午後一時から鶴見飛行場に於て一同交互に同乗飛行をし、その傍女性の燈火管制に関する理解を促したビラ五万枚を横浜上空から散布した。 (写真は同乗飛行を終へたメトロポリタンのダンサー連)
|
|
 |
【若きセーリングの力】 ―白帆初秋の風を孕んで東京湾横断―
8月28日
加藤木勧業課長令息等五人の若者達は、今夏を房州館山にヨツトを持つて避暑旁々セーリングの練習をして、赤銅の健康色に仕立てた顔を二十九日午後三時中央市場の裏手海岸へと現はした。同日午前五時頃保田を立つて東京湾を横断して観音崎へ来ると風が変つて相当困つたと語る若者達の横顔に夕陽の映へて、南洋到来かと思はれる壮健さ。
|
|







|
【灯管全く成り港都の護りは固し】 ―暗黒の横浜市に秩父宮殿下御台臨―
8月29,30,31日 9月1,2,3日
一日午後二時『空襲』のサイレンは冷雨降りしきる全市に鳴り渡れば、待機中の三万五千の防護団員は直に行動を開始しる(ママ)と共に野毛山、子安校の下志津砲兵の高射砲隊の聴音機は配備に着き、公園グランドの警備本部より歩兵第一連隊の光森部隊は市内官衛警備する。かくて五時、敵の第一機は低雲の中に飛来し内市(ママ)数十ケ所に対して爆撃を敢行すれば、折柄の豪雨の中に防護団員は勇躍して防火、防毒、救護を始め架橋、修理浄水地(ママ)の偽装等の各種作業は各分団の手によつて整然として行はれ、更に夜に入り相次いでの空襲に全市は完く非常管制に入つた。冷雨と泥濘の中に港都市民の生命を死守して緊張せるわれ等が防護団員の活動に対して、畏くも秩父宮殿下には漆黒の京浜国道の雨を衝いて自動車で御来浜、途中鶴見、神奈川各分団お立寄の上八時四十分連防本部に御台臨、大西団長の御案内で市内各所の猛烈なる演習を御視察の後市長公舎バルコニーに成られ燈管下の全市を御展望あらせられた。次いで朝香近衛師団長宮殿下、柳川第一師団長、林陸相、後藤内相、南大将、西警備司令官等雨を冒して詳に全市を視察し、涙ぐましき団員の奮戦ふりに感激と満足の意を表して引上げられ、かくて更に二日、払暁の敵空爆に保土ケ谷の各工場連合の大規模避難及磯子附近の空陸の大接戦等あり。同七時敵機は横浜上空を去つて二日間に亘つた大防護陣は成功裡に終つた。
(写真は右 市役所お成りの秩父宮殿下)
左 西ケ谷浄水地(ママ)にて西関東警備司令官
下 統監室にて後藤内相
次葉は
右上 敵機の照明弾に照らされた燈管中の県庁附近 右下 市役所地下室で女吏員の炊出し
左上 神奈川の水道破裂と毒瓦斯弾
左下 野毛山に於ける照空燈
《解説》 灯火管制をともなう都会の防空演習は昭和3年(1928)以降実施されていたが、昭和9年から東京・川崎・横浜三市の合同防空演習として実施された。この年の演習目標は灯火管制を成功させることにあった。
|
|
 |
|
 |
|
 |