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【街の紅毛通り魔を捕へた敏腕戸部署】
―紙幣抜きの怪外人遂に自白す―
5月17日

上陸地長崎を手始めに神戸大阪から京浜のデパートを通り魔の如く荒した紙幣抜きの二外人は、十四日花咲町富士松旅館から戸部署に捕へられて外事課小貫通訳.望月司法主任の厳重な取調べと十余名の首実験に依つて遂に自白したが旅券偽造の新事実も判明、両人恐れ入つてゐる。
(写真は紙幣抜き奇術実演の 左ルーマニア人バージル.アラメス 右ロシア人ヴイ.サリシエフ)

《解説》 写真は「実演はいやだと手を振る」ショット(『東京朝日新聞神奈川附録』)。  
【景気は二年で恢復し
        日本は加州を占領す】
―必ず当る世界的予言者は宜ふ― 
5月18日

日本でも判らなかつた林陸相の留任を羅府で予言し、今の世界不況も未然に発表したし、シカゴのギヤング ゼリンガー居所を教へて逮捕させた必ず適中する予言者D.Lフレンケル夫人は十七日秩父丸で来朝、日本に下した有難き御托宜は次の通り。日本は真先に景気が直る。日露戦争は半年のうちに始まり日米戦争もあるがカリホルニアは日本のものになり、ヒツトラは暗教(ママ)され、日本に大地震は余り起こらないと。これでは県刑事課の方々根岸競馬場犯人の居所でもお伺ひしたら? (写真はフ夫人と御亭主) 







【五月晴れの空からヨコハマを漫歩する】
〔月日欠〕

鶴見の埋立を飛び出すとトタンにヨコハマ港である防波堤の中は青畳を敷いた様に静かだ。其の上に桟橋や岸壁が大停車場のプラツトホームの如き突き出して小さな汽艇や艀が玄関に並べたお客様の履物見たいにきちんとして居る。市街には大建築も大分ふゑたがまだ/\山下町辺には空地がうんとある。来年は之れが利用されて山下公園と一諸に大博覧会の敷地となるのだ。大体に街路は碁盤目だがヨコハマの道路は本当に真直ぐなのは無い。上から見ればみんなどこかで曲つてゐる。 くにや/\な歪んだ碁盤目だ。一寸した土手見たいな山手を越ゑると本牧の岬に玩具の箱庭道具の様な三渓園の塔が真白な八聖殿と緑の森の中から頭を突き出して、白波立つ初夏の海を見下ろしてゐる。機首を廻してハマの中心にもどる。歩いてキレイナ伊勢佐木町も上から見るとだらしがない看板の裏やトタン張りの屋根。この写真はマア遠慮しよう。 あのネヲンの美しい夜のイセブラの主、彼氏彼女に幻滅を感じさせてはお気の毒だから。
 (写真は本社の機上撮影)

《解説》 (1番上の写真)右手に大さん橋、左が新港埠頭。(上から2番目の写真)桜木町駅上空から関内・新港埠頭を望む。(下から2番目)山下公園とホテル・ニューグランド。(1番下)本牧三渓園と八聖殿。
【海のお目付役白鴻丸横浜へ入港す】
5月22日

「白鴻」の名を聞いた丈けでも海賊稼業は怖へ上る大(ママ)平洋一帯の密漁監視係快速船白鴻丸(七十七噸)は廿二日午後ヒヨツクリ横浜へ勇姿を現はした。同船は農林省御自慢の優秀監視船で愛媛県三津浜港を根拠として太平洋上を自在に駆け廻り海のギヤングを追跡してゐる最新式鋼鉄船。二百五十馬力のデイゼル、エンヂン二基、探照燈を始め投縄銃、高圧ポンプ等完備して最高速度二十ノツト工費十一万円といふ物淒い船である。 (写真は同船)
【全国に誇る「青年の家」開所式】
―連合青年団の修養道場成る― 
5月23日

横浜連合青年団の誇り保土ヶ谷児童遊園地内青年の家開所式は、廿三日午前十時から階下七十畳敷の大広間で連合団長を始め役員・評議員・各団々長・正団員及来賓福島日本連合青年団理事等三百余名参列して挙行修抜式の後、君が代奉唱裡に聖恩旗の入場あり、令旨捧読して開所式を行ひ終つて、新緑の屋外に茶菓の饗応あり一同懇談会に移つた。 (写真は令旨奉読)

《解説》 横浜連合青年団は、関東大震災後に都市青年団勃興の気運が生じたのを背景として大正14年(1925)に結成された。青年団の活動は地域の人々を統合する役割も果たした。
【微笑ましい犬と鶏の愛情綺談】
5月24日

近頃中区住吉町道傍で毎日の様に牝犬と鶏が仲よく遊んで居る。この取合せに通行人の微笑を買つて居る。犬は太田町伊勢膳の「まめさん」で昨年愛児を盗まれた寂しさからお友達を探がして見付け出したのが四五町も離れた住吉町桝崎薪屋さんの鶏。これも桝崎さんが余興の景品に貰つて来た独り者で二人?の孤独感から異種族間にやさしい愛情か結ばれ毎日「まめさん」が逢曳に出掛け寒い夜は抱いて寝てやる親切さ。時にはふざけが過ぎて鶏さんを押へ付けるが決して傷はさせない。人情の薄い都会で皮肉な情景だ。少し耳の痛い人間様も居るでせう。 (写真はそれ)
【市民の永久の語草思ひでの鐘】
5月25日

横浜市民にとつて忘れきれない震災の時、幾万かの尊い人命を救助するに役立つた鐘が今度市役所へ贈られた。此の鐘は千九百八年造られた古色蒼然たるもので、N.Y.K欧州航路三島丸の甲板にて船客に朝夕時を知らせて居たもので、かの大震災当時横浜が火の海と化した時、桟橋につい居た三島丸がこの鐘を打ちならし、海へ飛込む人々を救助したと云ふ鐘で、三島丸も近く老船解体される事になつた為めせめて此の鐘だけは永久に市民の語草として残したいと云ふ郵船の心やりから市役所に寄贈されたもので、永へに震災記念館に保存される事になつた。



【三色旗をひるがへして可愛い軍艦】
―フランス砲艦タ号入港ス― 
5月26日

フランス極東艦隊所属砲艦タユール号(八〇〇噸)は廿六日午后二度目の日本訪問の為め横浜に入港。同艦は上海を根拠地として楊子江一帯の警備に務めてゐるが艦長グラジニヤ少佐以下士官八名と赤玉のついたベレ帽の粋な水兵さん百ニ名の小じんまりした世帯で六吋砲二.高射砲一を備へた灰色の小型軍艦で、横浜には六月の四日まで碇泊してバザーでお土産をしこたま買つて帰へるのである。 (写真タ号とベレ帽の水兵さん)
【白衣の天使に混つて
         狂はない一と踊り】
―県立精神病院芹香院の運動会― 
5月26日

市外永野村芹香院の春季運動会は誰しも物狂はしい青葉の初夏。これは又なんと狂はない一日であつた。珍ゲームは正午から始まりいづれも之れがと思はれる真面目くさつた大選手出場してフアインプレイ続出したが、最後の余興同院の男女患者と職員看護人オールスターキヤストの小原音頭ではかへつてゼンマイのゆるんだ拡声蓄音器よりも正確な手ぶり足ぶりには一同驚いたが、此の日西坂事務長以下の係員と無心の患者達の親しみ深い情景は参観者をして涙ぐました。 (写真小原節の踊りぶり)



【待望ハマ早慶戦に凱歌はいづれ?】
―高商高工技量伯仲して予測し難し―
5月28日

第八回高商対高工定期野球戦はハマ市民を二分してフアンの血を踊らせて六月二日の開港記念日から三回戦を公園球場に展開されるが、復讐に燃ゑる高工軍の老巧稲田投手に、再び制覇を期する高商チーム新人強打者を迎へて力量正に伯仲互角の陳容に、伝統と意気の『此の一戦』はハマのフアンの血は沸るであらう。尚ほ第一回戦は六月二日午后二時半開始高工一塁側、高商三塁側と発表された軍両(ママ)メンバーは次の通りである。
 【高工】
(投)稲田 福本  田中 岩藤 山本 
(捕)阿部 福富
(一)竹内 
(二)小川 
(三)浦山 龝鹿 広瀬 
(遊)多田 松田
(外)横尾 大亦 東 坂上 稲木
 【高商】
(投)五十嵐 小林 岩崎(弟) 花井 西山
(捕)平田
(一)高橋 桂
(二)河上 久保
(三)岩崎 高志
(遊)牟田口 今井 渡邉
(外)酒井 松本 山元 楠本

《解説》 高商は横浜高商(横浜高等商業学校、現横浜国立大学経済学部)、高工は横浜高工(横浜高等工業学校、現横浜国立大学工学部)。定期戦はハマの早慶戦と呼ばれ、昭和初期横浜市民の娯楽のひとつだった。横浜高工は「三無主義」という自由啓発教育がおこなわれたことでも知られる。
【緑濃き若葉の下に
      絢爛のテイ・パーテイ】
5月28日

廿八日午後四時から紅葉ケ丘知事官邸の庭園で横山知事夫妻主催で在浜各国領事を初め内外貴顕を招いてテイ・パーテイを開いたが、葉梅と芝生の緑の中に着飾つた主客の夫人令嬢達の華やかな装ひと、今を盛りの芍薬の花とで絢繝たる庭園の中を、横山知事寵愛の軍鷄がノソリノソリと歩き廻つて和やかな零(ママ)囲気の中に談笑して同六時散会したが、かへりには本県自慢の大船芍薬を花束にして来賓一同に贈つた。 (写真は其の光景)
【高松宮殿下横浜の漆器工業を
          御視察遊ばさる】
5月28日


半歳振りで呉軍港より御帰京あらせられた高松宮殿下には、廿八日午前八時石川別当を随へられて自動車にて御来賓(ママ)、鶴見の東亜塗料工場を御見学の後同十時三十分井土ケ谷産靖社にお成りあらせられ、河野社長並に加藤木勧業課長の御案内で同工場を御視察、恩賜発明奨励金拝受のサクラ漆器の製品及び製作工程を詳さに御見学の上、同十一時三十分社員一同の御奉送裡に御機嫌美はしく御帰京あらせられた。 (写真は産靖社御見学の高松宮殿下)
【開港記念に児童の絵画移動展】
―市電の名案一日からボーギー車で―  
5月30日


開港記念に市の電気局が空前の試みとして大自慢の市教育課後援で市内小学校生徒の作品を十五台のボギー車の内に飾つた絵画移動展は、一日から愈々市内を運転するが、児童の作品も中々よいのを集めたが市電の此の企も御名案として評判が高い (写真は電車の欄間に飾り付けた児童の自由画) 

《解説》 車両が長く出入り口が3つある市電車両をボギー車と呼称した。



【友邦ベルギーの特使タイス氏】
―初夏の海光る横浜に龍田丸で来朝す― 
5月31日


欧州の友邦ベルギーの新帝レオポルド三世陛下の御親書を奉じて我皇室に使する 同国特派大使ウヰリアム・タイス氏は隨員五名並ニ夫人令嬢を同伴卅一日正午郵船龍田丸で来朝。直ちに接伴員鍋島式部官駐日パソンピエル大使を始め横山知事大西市長等の出迎へを受けた後、金子税関長の先導でベルギー国旗を打ち振る二千名の小学生に微笑で答へて同二時五十分特別列車で上京した (写真は特使に花束を贈つた市長令嬢俊子さん(十三)と税関長の鈴子さん(十八)及び出迎への知事市長税関長の夫人達)