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【乙女の瞳は輝いて『Xマス』近づく】 ―ツリーと(ママ)囲んで快よい円舞曲―
12月16日
クリスマスの夕』が近づいて「街のサロン」も街の『ホール』もみんな金と銀と赤と青、そして白い線とのデコレーシヨンに包まれてしまつた、慌だしい歳末の巷に生活線の尖端に力強いステツプを踏んでゐて、ダンサー達も職場に立てられたツリーには、流石に瞳を輝かせてゐる。七面鳥の丸焼もデコレーシヨン・ケーキも無いかも知れないが、新しいドレスと銀色のハイヒールが彼女のこころを浮立たして、若き日のあこがれ「クリスマスの一夜」を楽しく無心に踊るその足どりもまた軽やかである。 (写真はメトロポリタン・ダンスホールにて)
《解説》 ダンスホールはこの頃の都市文化を象徴するものとして、『横浜グラフ』にも盛んに取り上げられている。ダンスホールに対する取り締まりはこの後厳しくなっていった。
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【珍しく逓相夫妻が来浜して「処女航海」を祝ふ】 ―新造船『極東丸』の披露レセプシヨン―
12月17日
川崎造船に於て艤装中であつて(ママ)飯野商事の優秀タンカー汽船極東丸(一〇、〇五〇噸)は、いよいよ大平洋(ママ)処女航海につくことになつたので、同船(ママ)床次逓相、永野前横鎮長官、横山知事等の名士並に関係業代表者を招待して船上に於てこと(ママ)披露会を催したが、一社外船の披露に逓信大臣が参列することは珍しいで(ママ)、床次氏は夫人同伴で船内隈なく見学し、各最新機能について詳細説明を聴いたが、同船は十九日午前北米に向けて出帆した。 (写真はランチにて極東丸に向ふ逓相夫妻)
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【皇后さまの御仁愛を拝して患者達感泣す】
―済生会病院に着物地を御下賜あらせらる―
12月18日
常に限りなき下々への御慈みの御心深きわれ等の国母陛下には、向寒の折柄との尊き御思召を以つて市内岡野町恩賜財団済生会神奈川県病院に収容中の七十五名の貧困患者に対して、着物地及同裏地各一反並に裁縫料金一封宛を御下賜あらせられたので、十八日午後二時より同院内に於て石井県学務部長より伝達式を行つたが、この有難き御こゝろを拝し奉り御下賜の品々を押し戴く患者を始め、原院長以下の参列の職員一同も等しく感涙にむせんだ。 (写真は感涙の伝逵(ママ)式)
《解説》 済生会神奈川県病院は大正2年(1913)の設立。昭和24年(1949)に神奈川区富家町の現在地に移転。
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【復興博計企全部完成】
―桜木駅前に大看板掲揚
行人の眼を惹く―
12月19日
復興記念横浜大博覧会と大書した大看板の側に、二間半に五間の博覧会全景の鳥瞰図が掲げられて行人の眼をひいて居る。東洋絵画協会の寄附になるもので、何れも帝展に入選した洋画家達七人の合作になれるものである。 (写真は加藤木部長、宮野理事、佐々木顧問等の下見)
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【納めの天神様賑ふ】 ―今年のお礼と迎春のお約束(?)に―
12月20日
磯子の岡村天神は二十五日の納め参りとて近頃にない大賑ひを呈した。今年無事御利益のお礼詣りと明年の御利益祈願に参詣人引きも切らず、戌去り亥の来る神前には敬神と慾深と交響を奏して暮れ逝く年の最後を飾るものゝ様に!
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【躍る仮装のXスマイブ(ママ)】
―ジヤズに飛る(ママ)ステツプは
此は又何と空間と時間の圧縮図―
12月21日
廿四、五、六の三日間市内各ダンスホールではXマスイブの仮装舞踏会を催し、元禄時代の娘から武士、手代、中世紀の女王が出ると思へば、妖霊女花嫁からハツピーコートに取様の踊子は流石広いホールを狭しと狂ひ廻る。霜夜に響くサキソホーンは何時果つかしとも思はれず、まことに此の叫喚乱舞こそ卅四年最後のアガキでの解消であり迎春の暗示である。 (某ダンスホールにて)
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【生糸販売統制反対】
―該法案は生糸取引員の生活権を
奪ふのである―
12月21日
横浜取引所では前場終了後、正午から立会場に取引員及取引従業員三百名参集臨時総会を開催し、堀江、矢島その他諸氏は交々立つて政府の生糸販売統制案は取引員の既得権を無視し従業員の生活権を奪ふものであつて、我国蚕糸業に対し致命的打撃を与ふるものであると悲痛の叫びを挙げ、満場一致で「絶対反対」の決議を為し、散会直ちに神戸取引所に対し共同線を張る可提議し、東西相呼応して大に気勢をあげんとして居る。 (写真は同大会)
《解説》 この頃生糸価格が低迷していたため生糸取引の統制が問題となっていた。輸出生糸取引法は昭和9年4月に公布されたが、中小問屋の反対運動によって実質的な影響は軽微なものとなった。
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【五ツねてお正月!】
―ワタイ、ネ、お手々の年にるの(ママ)―
12月22日
ワタイ、ネお手々ダケねるとネ、お手々の年になるの、イチユチユになるの お正月ネ、お姉チヤマとお羽子をつくの、上手につくのよ!
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【暹国の使来浜】
―復興博のシヤム国特設館建設地
検分の為めに―
12月23日
シヤム国公使ミトラカム・ラクサ氏は本邦駐箚商務官同伴二十七日午後来浜、直ちに市役所に大西市長を訪問して挨拶を為し、それより加藤木部長、佐々木顧問等の案内により上海香港銀行裏手なるシヤム国特設館の敷地を検分し、博覧会事務局に立寄り種々打合の上、午後三時東京公使館に帰つた。 (写真は向つて左より、加藤木部長(指させる、野村洋三氏、公使、商務官)
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【大西市長細民街訪問】 ―慰問金を抱えて大喜びの 中村町細民街―
12月21日
大西横浜市長は押し迫まつた二十八日午後二時から山崎秘書課長を帯同し、市内の細民街中村町、浅間町その他を廻つてなぐさめの言葉と共に金一封の慰問金を贈つた。生活苦にあへぐ貧しき彼等の喜びは、市長を恰もサンタークロスのおぢいさんの来訪のやうに感謝と喜悦を以て迎へた。 (写真は中村町に於ける大西市長の慰問金給与)
《解説》 日付は鉛筆で24〔日〕と訂正あり。
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【よきお正月のお餅お米】 ―寿警察署の年末お餅分配―
12月25日
廿八日朝八時から寿署では管内の細民百五十世帯に対しお正月のお餅と白米を分与したので、貰つた貧困達の喜びは一方ならず、涙を流して平生のコワイおぢさんも今日は仏様とばかりに大満悦で、貰つたお餅と白米引替券を持つてイソイソと帰つた。斯くて彼等のよきお正月を迎へんとするのである。 (写真は坂本署長より配給を受ける彼等)
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