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よみがえる幻の第二代横浜駅 |
2003年5月下旬、東急東横線旧高島町駅前から第二代横浜駅舎の煉瓦基礎が発見されました。関東大震災によって短命に終わった第二代横浜駅の姿を伝える貴重な遺構であり、大正期の煉瓦造建築の技術水準を知ることができるものです。
また駅舎と重なり合うように、横浜駅建設以前に同地にあった横浜共同電灯会社(のち横浜電気株式会社と改称)裏高島町発電所の遺構も発見されました。明治から大正にかけての高島町の歴史を物語るこれらの遺構は、同時に、関東大震災によって灰燼に帰した都市横浜の歴史の証人でもあります。
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1 第二代横浜駅 明治5(1872)年に開業した初代の横浜駅は現在の桜木町駅付近に位置していましたが、東海道本線の直線ルートの確保や京浜間の鉄道輸送の増加などを理由に、大正4(1915)年に高島町へと新築移転しました。横浜開港資料館所蔵絵葉書。
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2 遺構全景 発見された駅舎基礎は、正面中央の乗車口とそれに隣接する手荷物受付所を中心とした部分で、駅舎全体の4分の1程度にあたります。
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3 コンクリート杭 軟弱な地盤に対処するため、直径約40pのコンクリート基礎杭が約1.5mの間隔で打ち込まれていました。同時期に竣工した東京駅(大正3年)をはじめ、当時は松杭が主流であり、横浜駅でのコンクリート杭の使用は、土木技術史上きわめて早い事例であるといえます。
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4 基礎に入った亀裂 各所でみられる亀裂は、関東大震災のすさまじさを物語っています。
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5 発電所の遺構 駅舎基礎と重なる部分だけが取り壊されていることがわかります。写真にみえる楕円形の煉瓦構造物は海水引入口と思われ、その先に見えるトンネルを導水路として海水を取り込み、発電所の冷却水としてこの水槽に蓄えていたと考えられます。
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(2004年10月記) |
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