歓楽の巷伊勢佐木町通り[寿百貨店付近]

歓楽の巷伊勢佐木町通り[寿百貨店付近]
タイトル: 歓楽の巷伊勢佐木町通り[寿百貨店付近]
画像出典: 当館蔵絵葉書
年代: 昭和戦前期
分類名: 伊勢佐木町
分類番号: 022-13
解説: 右手前の茶色のビルは横浜名物の喜楽せんべいの店舗。その隣に勉強堂書店の看板、さらに奥に不二家が見える。その2店舗の間にサクラサロン(カフェー)があった。左手中ほどの白い建物が寿百貨店。もともと所在した越前屋は、1932(昭和7)年5月に負債を抱えて店を閉じた。12月に合名会社山越として再開するが、1934年に閉店。店舗は松屋(吉田橋に横浜店があった)が購入し、同年6月鶴屋として開店したが、7月寿百貨店と名称を変更した。画像は1934年以降の景観か。
当時の雑誌より(鶴屋の開店):
  「伊勢佐木町の旧越前屋跡に予ねて準備中であつた鶴屋は本月三日(作成者注、1934年6月3日)華々しく開店した。新装建物の明朗な感じと大資本松屋を背景とする豊富廉価な品物とが人気を呼んでか連日満員文字通り人間地獄を呈してゐる。
 一階は化粧品、雑貨、商品券売場で品物の豊富な事は驚くばかりで、さすがに大衆本位のデパートと肯ける。二階は子供婦人用品、洋服等でこゝにも同店のモツトーが覗はれる。(中略)同店が最も誇りとする五階の呉服と雑貨の大特売場は全く遺憾ない充実振りと勉強ぶりで、六階の大衆向の大食堂と俟つて確に同店の誇りであらう。七階のホールは時々催物が設けられるさうであり、屋上の公園は澄明の空気と見晴しのよいのに子供にも大人にもよい休憩場である。(中略)兎に角、大衆向デパートの名に背かぬ陣立てゞ、比較的斯うしたデパートに恵まれなかつた横浜人にとつて楽しみでもあり便利この上ないであらう同店の定休日は他のデパート同様に八日、十八日、二十八日の八の日である」(『大横浜』1934年第6号)