横浜吉田橋畔 伊勢佐木ビルデイングト上保館主

横浜吉田橋畔 伊勢佐木ビルデイングト上保館主
タイトル: 横浜吉田橋畔 伊勢佐木ビルデイングト上保館主
画像出典: 当館蔵絵葉書
年代: 昭和戦前期
分類名: 伊勢佐木町
分類番号: 022-08
解説: 吉田橋から伊勢佐木町の通りに入る右手角地にそびえる伊勢佐木ビルディング(通称イセビル)。1927(昭和2)年に建築された。1階の店舗看板には「松屋」「牛鍋あさひ」「越前屋」などと見える。2階の看板は「旭牛肉鍋」と読める。屋上(5階)にはキリンビヤホールになっていた(『大横浜』1930年第3号)。丸囲みは土地所有者でもある上保(うわぼ)慶三郎。1933(昭和8)年以前の発行。星野屋製。
当時の雑誌より:
  「伊勢ビル(伊勢佐木町一吉田橋頭)
 前市会まで横浜市会の快男児であつた上保慶三郎氏の経営するものである。氏が横浜の華街である此一等地を手に入れ、震火災後逸早くこのビルデイングの建設を計画した頃には、その前途を危ぶむものもなかつたではないが、復興建築の尖端を押し切つて進んだ勇気は推賞に値する。今や吉田橋際の鶴屋の本建築も竣工に垂んとしてをるが、この伊勢ビルと対峙して、歴史あるこの関門橋に昭和新式の関門の両扉が表現するのは、思ふだに痛快の極みである」(「ビルディング素描(其の二)『大横浜』1930年第3号)