外人墓地より横浜市街を望む

外人墓地より横浜市街を望む
タイトル: 外人墓地より横浜市街を望む
年代: 昭和戦後期
分類名: 元町・山手
分類番号: 010-19
中島敦「かめれおん日記」より:
  「外人墓地にかかる。白い十字架や墓碑の群がった傾斜の向うに、増徳院の二本銀杏が見える。冬になると、裸の梢々が渋い紫褐色にそそけ立って、ユウゴウか誰か古い仏蘭西人の頬髯をさかさまにした様に見えるのだが、今はまだ葉もほんの少しは残っているので、其の趣は見られない。
 入口の印度人の門番に一寸会釈して、墓地の中にはいる。勝手を知った小径小径を暫くぶらつき、ジョージ・スィドモア氏の碑の手前に腰を下す。ポケットからルクレティウスを取出す。別に読もうという訳でもなく、膝に置いた儘、下に拡がる薄霧の中の街や港に目をやる。」(中島敦「かめれおん日記」)
 この作品は1938(昭和13)年から39年中に書きあげられたという(勝又浩「解題」『中島敦全集』筑摩書房、1993年)。中島敦は1933年に汐汲坂にあった横浜高等女学校に就職、勤務のかたわら小説を執筆していた。