1919(大正8)年、横浜市は、交通網・ライフライン・住宅施設等の計画に着手した。
こうして始まった都市計画事業は、財政難や関東大震災によって一時中断したが、震災復興の過程で部分的に実現し、現在の都心部の骨格が形成された。
「横浜大地図 大震火災区域」
「横浜大地図 大震火災区域」
京浜出版社(1923年) 横浜開港資料館所蔵
関東大震災の直後の火災による焼失区域を示している。震災によって、市街地の中心部は大きな被害を受けた。
震災復興都市計画案
震災復興都市計画案
『横浜市復興会誌』(1927年)付図
震災復興のために招かれた内務省技師の牧彦七が作成したもの。土地区画整理、道路改修、公園整備などの復興事業のグランドデザインとなった。
復興記念横浜大博覧会(絵葉書)
復興記念横浜大博覧会(絵葉書)
1935(昭和10)年頃 当館所蔵
関東大震災からの横浜の完全な復興を祝して、昭和10年、山下公園で博覧会が開催された。