1929(昭和4)年3月、震災復興事業によって1万3800人収容の野球場が横浜公園内につくられる。野球の定期戦や市民ラグビー大会の会場として利用され、横浜のスポーツのメッカとなった。戦後は米軍に接収されルー・ゲーリック球場と名を変えたが、1952年に返還された。
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横浜公園球場
四月二十三日
横浜公園スタンド
に於ける市民奉迎会
横専・Y校の
定期野球戦