「モダン横浜歴史情報マップ」とは
横浜の中心市街は1923(大正11)年の関東大震災で壊滅しました。しかし、その後10年ほどのあいだに横浜は目覚ましい復興をとげ、街並みは一変します。ほぼ同時期に「モダン」と呼ばれる新しい生活スタイルと文化が都市部を中心に全国的に生まれつつあり、それは横浜の街にも入り込んでいました。「モダン横浜」とは、震災から復興しつつあった昭和はじめの「モダン」な横浜の街のことを指しています。
この歴史情報マップでは、昭和初期の地図を精密にリライトして、その地図上に昭和初期(おおむね昭和元〜15年ころ)の横浜に存在したさまざまな施設―公共機関、港湾施設、学校、企業、商業施設、飲食店、港湾施設など―の位置を表示しています。さらにその施設に関する歴史資料(絵葉書・写真・チラシなど)を当館所蔵の資料から紹介しました。くわえて、当時刊行されていた雑誌・新聞等から、その施設に関する記事を抜粋し、地図・画像・文献資料から「モダン横浜」の情景を再現することをこころみています。
ベースマップについて
本歴史情報マップのベースマップは、「横浜市三千分一地形図」(横浜開港資料館蔵)のうち、「新港町」(昭和6年測図)「山下町」(昭和7年測図)「新山下」(同)「西戸部」(昭和8年測図)「南太田」(昭和7年測図」「根岸」(昭和8年測図)をもとに当館が作図しました。
利用にあたって
地図には昭和初期(1〜15年頃)に存在した施設を示しましたが、地図に表記した全ての施設が同時期に存在していたわけではありません。また、原地図作成時(昭和7〜8年)には存在していない施設も表示されています。
表示する施設は関連資料(画像)を当館が所蔵している施設から選定しました。よって主要な施設であっても地図上で表示されていない場合があります。
施設の位置の同定については、昭和初期に発行されていた各種地図、後年往時を回想して作成された地図を参照したほか、施設の住所を昭和初期に発行された各種名鑑で調べ、『土地法典』『横浜市経済地図中区明細図』(昭和31年度版、経済地図社)等によって位置を同定した場合もあります。位置が間違っている可能性もありますので、お気づきの方はご教示ください。
資料(画像)は原則として昭和初期のものを中心に選びましたが、一部年代が前後する画像も含まれています。
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